”ろーどまっぷ”だお!

2010年のユビキタス社会へのろーど☆マッぴゅ(発射おーらいニャリ〜♪)に避けてはとおれない道。
それがあゆゆのユビキタスだ!
「偏在するあゆゆ」を利用した社会実験は、ユビキタス型市民相互監視社会の実現へ向け、静かな歩みを進めるのであった。


マッシブ・ヤッシブ(渋谷)に走るさらりーまんがひとり。OL型ユビキタス擬似生命物質(いわゆる”ドールⅡ”タイプ)に向かうその姿を、あゆゆは第三者および主観視点で補足していた。”事実そんなエロゲーがあれば…”さらりーまんの想いがあゆゆに流れ込むっ! あゆゆ、拒否! しかしその勢いは強く、あゆゆは全神経に排出遡及命令をくだした。途端、オタ要素は体外へ排出され、マッシブ・ヤッシブに新たな萌えオタが生産された。ほどなく彼らの枕元はえろーいdoujinで埋まるだろう…
これがユビキタス。我々の求める未来予想図なのだ。
あゆゆはさらりーまんの想いを汎ユビキタス的解釈で求めることにした。イメージを超えて浮かびあがる文字情報は断片的だが、あゆゆをして「畜生」および「反吐がでる」と言わしめるに十分なものであった。「fuck等の汚い言葉は使わない」その萌えキャラ原則を捨てたあゆゆが目にしたものは…


PC周りのふぃぎゅあしゃま見たら、どう思うかな…


パタン化された思考がつづら折りにモザイクを描き、その隠された本質はいかなスキャナーでもうかがえない。あゆゆはその煮え切らなさに上段の言葉を吐いた。
ここでもしユビキタスしていれば、あゆゆは正確にその状況を補足できただろう。しかし実験体であるあゆゆに決定はなく、すでに状況は浮遊・瓦解していた。


ごく中途半端な形で、さらりーまんは「自分の趣味」を語っていたのだ。つまり。


自分は、アニオタ関係者である。そう言った。


あんまり反応なかった。