スパイダーマン2について

今話題の映画「スパイダーマン2」を見た。もう驚いたのなんの! ユビキタス、ここまできたかっ! vomit吐いた!


キーホンイキフンファニーな叙情に包まれトリスー進行。なにをやっても中途半端な主人公、”大学”&”バイト”&”恋人”&”正義の味方”の”狭間”で揺れ動く。そこにかの名将織田信長が桶”狭間”の闘いで明示した”あの断定”はない。その在り様、苦笑を禁じえず! しかし笑いながら気づくのだ、まさにこれは20台後半の現代さらりーまんである我々の戯画であると……


アメリカの”南公園”よろしくvomit吐きながら、しかしそれさえ表層だと!!……目覚めの時が来た。なんとスパイダーマン、指先からくもの巣=webを吐き出すのだ! 驚いた。ユビキタス、どこまでやれば気が済むっ! スパイダーマンはこの世界を内側から統べる中央ホストサーバー、その糸/意図に絡めとられる我々は……このユビキタス後の現実希薄におけるノードである。被参照量の増大によるネットワークの疲弊はニューヨークに充満する不穏。その糸に捕まる恋人は……我々自身の虚構的鏡像である。


これはもうドキュメンタリーではない。政治的プロパガンダだ。
偏った映像編集は、メディアに携わる責任について思いをめぐらす機会にはなった。しかしこの映画を鵜呑みにするのは危険だ。そういった意識をもって見るのであれば、この映画は笑いのジェットコースターにはなるであろう。
しかしそんなものがあなたに必要だろうか? 笑いのジェットコースターは、客観的に見たあなたの人生そのものなのに?


で、華氏911へ続いたらいいなあ。