40歳という死に向けて

ある作家が40歳で人間は一度死を迎えるといっていたが本当にそのとおりだなあと思います。


41歳/女/イギリス人。
死者である彼女は、
「私は昔ハンドレッズのボーイフレンドがいてドラッグいっぱいやって25までは毎日パーティーだった。
でも26くらいから男の人は私を敬遠しだした。結婚というリスクを意識されるようになった。
だから私はその後付き合った人に結婚するつもりがあるかと最初に聞いて、
あるといったので結婚した。
私には今、当時のような力はない。成田に行くにも乗り換えなしでないといけない。」
(でもあなたはとてもエネルギッシュではありませんか?と聞くと)
「今は授業だからそう見えるだけ。私は”生徒に英語を教えることに喜びを感じるから・・・”」


彼女は若いころアート志望で、今は金にならないアート雑貨屋をやっている。


英語を教えることに喜びを感じる。。。という彼女の顔はどうしようもなく疲れている。
自分は左翼・フェミニストであるという彼女の主張も、生前の思い出をなぞっているだけに見える。


そんな彼女と英会話教室で月に1回程度会って会話をする。
それは32歳という老境を迎えた僕と、41歳という死者である彼女が、それぞれの生を思い出す追憶の時間です。
僕たちの感覚はほぼ近いところまで擦り合うので、気持ちいい。
でも、その会話の内容は、今を生きている「母国語教師の彼女」と「Salary Guyの僕」とは
直接かかわりのないことではある。


続けようと思います。